【連載 紙歴書―わたしの来た道―】東根千万億(あずまね・ちまお)④ メディアの見識試す 害獣駆除拡大の流れ
40歳を過ぎて娘が誕生。このころ、当時の編集局長の発案でツキノワグマを守る長期連載企画を担当した。人生は不思議な展開を…続き
40歳を過ぎて娘が誕生。このころ、当時の編集局長の発案でツキノワグマを守る長期連載企画を担当した。人生は不思議な展開を…続き
入社後は内勤3年、一線記者4年を経て1983年4月に岩手県南の東磐井郡6町村を担当する千厩支局長を発令された。30歳の…続き
岩手日報社の入社試験の面接は忘れられない。私は大学時代の4年間、学生服の上着とグレーのズボンで通していた。なぜか一昔前…続き
文化通信社創業80 年企画として、長年、メディア業界で活躍され功績を残された方々に、生い立ちから思い出に残る仕事、印象…続き
私が入社した1964年と、今の記者が置かれている環境は、まったく別物だと言っていい。われわれの頃は、メモ帳すら満足に支…続き
ワシントン支局での3年を終え、政治部の官邸サブキャップとして本社に戻った。1979年、40歳を目前にした頃だった。第1…続き
ロッキード事件の取材に追われるところから始まったワシントン支局での日々。その年の秋には、大統領選挙が行われた。フォード…続き
ロッキード事件は、証券取引の公正さを監視するSEC(米国証券取引委員会)が、脱税などの調査を進める過程で、ロッキード社…続き
1976年、アメリカ・ワシントン支局に赴任した。政治部歴6年、34歳での海外赴任だった。当時の読売新聞ワシントン支局は…続き
渡辺恒雄さんについても触れておきたい。私が盛岡支局ののち政治部に配属された当時、渡辺さんはワシントン支局長だった。その…続き