【東京国際ブックフェアという実験~何が起きたのか、何が遺ったのか】③著作権取引での苦戦、その要因と試行錯誤(上)

2026年4月27日

 今回は著作権取引についての苦労と奮闘の話である。(そこでの七転八倒こそが、その後のダイナミズムを生むことになるのだが)。一方、今では東京版権説明会(TRM)が年々充実し、版権輸出の場として一定の機能を果たしていると聞く。業界にとって大変素晴らしいことだと思う。

 

TIBF会場での版権交渉の様子(TIBF2003)

 

 さて時計の針を私が担当になった1996年に戻す。TIBFも3回目が終了していた。既に「国際展としての意義はあるが著作権取引の場としてはどうなのか」との評価が一般に共有されていた。様々な産業分野の国際展示会を主催していたリード社の人間は、売る人が出展し、買う人が来場すれば、ある程度の商談が行われるものだと考える。ところが、どうやらTIBFだけはその常識が成り立たない展示会だったのだ。未だ基礎問題も解けない私は、いきなり応用問題対策チームに放り込まれてしまったのだ。

 

 なぜ当時著作権取引が活発でなかったのか。私は毎日のように出版社を訪問し、出展の営業をしていたので、当時の版元担当者のTIBFに対する言葉や表情、全体的空気をよく覚えている。そうした記憶や当時の業界状況などを踏まえ、その要因を今回改めて整理してみた。

 

 第一に版権輸出の観点で言うと、当時はまだ、国内出版社が収益源の多様化に血眼になっていなかった。96年の国内出版物販売金額は史上最高を記録、翌年以降徐々に下降していくが、まだまだ余裕があったのだ。

 

 また、海外出版社からの需要がある分野は、コミック、実用書、ビジネス書、児童書などだったが、こうした分野については、積極的に売り込みをかけなくても、アジア諸国から引き合いが日常的にあったようだ。従って、TIBF出展の目的は国際交流寄りの傾向があり、版権輸出商談を頑張ってやろうという雰囲気ではなかった。

 

 第二に版権輸入面で言うと、国内版権エージェントによる長年の努力により、主要コンテンツについては取引ルートが整備されていた。欧米のビジネス書、文芸書、雑誌などは、こうしたエージェントを通じて国内版元に個別に紹介されて翻訳出版されていた。欧米の大手出版社からすれば、コストと労力をかけて出展する意義を見出すことが難しかったようだ。リード社には、各国の大臣・大使クラスに直談判して国単位の出展を説得してしまうような営業の猛者がいたが、彼女でも欧米出版社にはてこずった。

 

 私自身も、フランクフルトのブックフェア(世界最大のブックフェア)へ行き、1社1社ブースを訪問し、拙い英語で一生懸命営業をしたこともある。リードグループの会社も多数出展しているので名刺を出すと「Oh, my colleague!」などと笑顔で叫び、調子だけは良いのだが、実は興味が無いから聞いていない。欧米のそれなりの出版社に出展してもらうのはとても難しいことだった。

 

 第三に、これも輸入面の話だが、当時は欧米以外の出版物への需要が大きくなかった。今でこそ書店には韓国の文芸書やエッセイがたくさん積まれているが、当時はまだまだであった。日本市場開拓を期待してアジア地域からの出展は多かったが、残念なことに、なかなか結果につながらなかった。

 

 余談ながら、韓国専門書店チェッコリ店主の金承福さんには、何年間にもわたりTIBFに関する様々な相談に乗っていただいたが、その間に彼女は韓国文学を日本市場に根付かせる土台を作ってしまった。その持続する熱意と行動力には頭が下がる思いである。

 

 第四に、欧米圏では90年代に出版社同士のM&Aが本格化、市場争奪戦が繰り広げられていた一方で、我が国の出版業界はそのような「食うか食われるか」という世界とは無縁であったことも影響しているだろう。「日本語」という言葉の障壁により、「国際展示会」にシビアさが持ち込まれにくかったのだ。私が90年代に担当していた他の産業、例えば半導体や液晶ディスプレイ技術の展示会には、当時一気に加速したグローバル競争を反映して、時にヒリヒリするような雰囲気もあった。TIBFとは強い対照をなしていた。

 

 誤解されたくないので、念のために付け加えると、私はグローバルな経済自由主義を全て是とするわけではない。特に出版物は言葉という日本人の心の骨格を構成するものであるから、主要部分を海外資本に委ねて良いわけがない。

 

 さらに五番目として「悪意なきフリーライダー」という現象を挙げておきたい。リアルのビジネスイベントがある程度拡大してくると大なり小なり起きてくるのであるが、TIBFにおいては特に本質的で、ちょっと厄介だった。

 

 当時、TIBF開催にあわせ、海外出版関係者が1000人規模で来日していた。(90年代TIBFの総来場者数は3万人~4万人)韓国、台湾、中国を中心に、フィリピン、タイなどアジア諸国が多かった。彼らの目的は日本の出版物を自国で翻訳出版するための商談であった。ところがTIBF会場に来ても、肝心な商談相手がそこにいなかったりするのだ。

 


 

天野桂介(あまの・けいすけ)氏 事業開発プロデューサー/公共法政策修士、元TIBF事務局長。プロデューサーとして20年間、TIBFの企画設計・実行やそれに伴う業界内の合意形成を担った。商社を経てリード エグジビション ジャパン(現RX JAPAN)入社、出版のほかIT、農業、教育、コンテンツなど多彩な分野の展示会をプロデュース。2016年に独立後、企業の新規事業開発を支援している。1991年東北大学法学部卒。2022年同公共政策大学院修了(首席)。

 

【東京国際ブックフェアという実験~何が起きたのか、何が遺ったのか】④ 著作権取引での苦戦、その要因と試行錯誤(下)

 

【東京国際ブックフェアという実験~何が起きたのか、何が遺ったのか】② 運営の主体となった出版業界団体とリード社