某月某日
『文藝春秋』9月号が届く。
藤原正彦の「失われた典雅な日本語」、大岡玲「日本語という『奇天烈』」を拾い読み。藤原氏は、表意(漢字)と表音(仮名)文字を併せ持ち、さらにはレ点と送り仮名で外国語(漢文)を母国語で読む訓読は「途方もない着想」で生まれたと。戦後、歴史的仮名遣いや文語を廃止したことは「日本語の神髄を削りとった」と喝破する中、くすりと笑わせるユーモアがいい。
大岡氏は、近著『日本語はひとりでは生きていけない』のエッセンスを披露。日本の書き言葉は常にやまと言葉の上位概念に外国語を置きつつ独特の歴史を刻んできたと。日本語には時に欠点とも長所とも取れない「奇天烈さ」があり、そうした不都合に憤り困惑し、例えば桑田佳祐は、「日本語の怪物的歌詞を創造」したり、志賀直哉は敗戦後、仏語を国語にしようと主張したりしたという。
昭和100年の懐古と回顧、温故知新のムーブメントが続く。
某月某日
暑い。夏休みは今年も富士裾野の山小屋に逃げ込み10日間ほど過ごす。海抜1000mでも昼間は30℃近く、一台だけあるエアコンは故障していて役に立たない。扇風機を引っ張り出し、『味の手帖』日めくりカレンダーの下版前最終チェックに夫婦で黙々と取り組む。
同じ団地内にログハウスを持つ、前職・東急で仕えた元専務N氏八十翁と隣の十里木㏄でラウンド。一年ぶりだよと宣う翁、ドライバーを忘れたにもかかわらず昨年よりスコアを2つ縮め、84で回る。エイジシュートは時間の問題だろう。〝恐れ入谷の鬼子母神〟に敬礼。
義弟一家、従姉の息子一家が次々来訪(来襲)、リハビリ入院中の母不在の夏休みが終わる。
某月某日
読売新聞(8月21日付)朝刊の9ページにわたる特ダネに、誰しも驚き快哉を叫んだはずである。
読売グループ本社・老川祥一会長による韓国・李在明大統領との単独インタビューの中で、対日関係重視の姿勢を鮮明にしたことと識者による解説のほか、箱根など数回訪ねたことや徳川家康に関する本を数年かけて読み切り教訓を得たことなど、反日の姿勢で知られる氏の印象を大きく変えた。
国内外の他メディアに先駆けて、大統領就任後初めて対面インタビューを実現した快挙は、読売新聞社と老川会長の政治力の賜物である。改めて、活字と新聞紙面の持つチカラを実感した朝であった。