今年創刊150周年を迎える日本経済新聞社は、電子版の有料購読者が100万人を突破、数年以内に電子版が紙版購読数を上回ると見られている。新聞の販売部数減少が続き業界全体の厳しさが増す中で、英フィナンシャル・タイムズ(FT)買収やデジタルシフトなど、将来に向けて積極的に布石を打っている同社の長谷部剛社長に150周年への思いや、今後の事業展開などについて聞いた。【星野渉】

創刊以来、世界の情報わかりやすく伝えること意識
――日本経済新聞は今年創刊150周年を迎えます。感想をお聞かせください。
日本経済新聞創刊150周年を記念し、東京本社2階に日経の歩みと未来を体感できる新施設「NIKKEI MUSEUM(日経ミュージアム)」をオープンしました。社員だけでなく一般の方も無料でご覧いただけますので、ぜひお立ち寄りいただければと思います。

150周年を記念して25年12月、本社ビル2階に開設した「NIKKEI MUSEUM」。一般に公開している
日本経済新聞は1876年、旧三井物産※を創立した益田孝が「中外物価新報」を創刊したことが始まりです。
当時は明治維新の直後で、外国との取引、貿易は利益のほとんどを外国人にとられていました。外国人は物価や取引の経済情報を持っているけれど、国内では役所にしか情報がない。情報の不平等がある限り日本の商取引は発展しないと、主に物価を報じる新聞を考えたのだと思います。
中外物価新報の「中」は国内、「外」は海外を意味する通り、益田は日本だけでなく世界の情報を集めてわかりやすく伝えることを強く意識していました。
このグローバル重視の姿勢はFTをパートナーに迎えてさらに強化し、日経グループが2022年につくったパーパス「考え、伝える。より自由で豊かな世界のために。」にも生きています。
※1876年に創立された旧三井物産は1947年に解散しているため、現在の三井物産と法人格は異なる。
電子版「読者ファースト」で100万人超に
――24年12月に日経電子版の会員が100万人を超えました。当初はそれほど増えないとの見方もあったと伺っています。電子版の現状をどのように評価していますか。
日経電子版は10年の創刊以来、24年12月に国内有料メディアとして初めて有料会員100万人を突破しました。創刊当時、インターネット上では無料コンテンツが当たり前でした。
当初は課金による読者離れの懸念も指摘されましたが、デジタル・ファーストの徹底や読者の動向を把握するエンゲージメントスコアを活用したコンテンツ制作など「読者ファースト」の取り組みを進めてきました。現状に満足することなく、読者のニーズに応えるべく次の高みを目指してチャレンジしていきます。
――電子版はどこまで伸びると見ていらっしゃいますか。
日経電子版は個人会員が大半ですが、ここ数年は法人向けサービス「日経電子版 FOR OFFICE」や、中学高校など教育機関向け「日経電子版 for Education」にも力を入れています。企業では仕事に必要な情報を社員に読んでもらう、学校では探究授業などに活用してもらうニーズはまだまだあるのではないかと思います。
この日経電子版 for Educationは、企業の協賛を得て全国200超の中高校の生徒たちに電子版アカウントを提供しています。今年からは記者経験者による出張授業や、授業での電子版活用事例を共有するコミュニティも新設し、教育現場のデジタル活用や情報リテラシーの向上に貢献していきます。
個人会員向けにはパーソナライズ機能「For You」などを導入しています。これからも、より使い勝手の良いものにして多くの読者に使っていただければと考えています。
数年で紙とデジタルの購読者数が逆転へ
紙の新聞届ける努力続ける
――各紙とも紙版の部数は減少を続けています。これからの紙版と電子版のバランスをどのように予測していますか。電子版が拡大(紙版は縮小)することが経営的に望ましい方向だとお考えですか。日本の新聞事業をインフラとして支えてきた販売店網と電子版拡大との関係についても、お考えをお聞かせください。
日経は、この数年にも紙と電子版の購読者数が逆転する見通しです。さらにデジタルシフトが進んでいきますが、紙の新聞は日経ブランドの根幹であることに変わりありません。一覧性やニュースの価値判断の提示といったデジタルでは表現できない良さがあります。社会に信頼できる情報を届ける基盤であり、その価値は揺るぎません。 紙の新聞を届ける努力はこれからも続け、読者の多様なニーズに応えていきます。
――日経電子版の成功に続き、今後のデジタル収益の柱として、どのような事業やサービスに注力し、収益構造を変えていく計画ですか。デジタル事業のほか、今後の収益源として有望視している新規事業の分野と、それに対する投資判断の基準についてお聞かせください。
日経電子版でデジタルの基盤をつくったので、新しいビジネスにもどんどん出て行きたいと考えています。日経グループは30年に向けたグループの長期経営計画を策定しています。連結売上高4000億円、営業利益率10%を目標に掲げ、4つの事業ドメインの成長を描いています。
報道を中心とした「News & Insights」、広告やイベントなどの「Brand Communication」、情報サービスの「Decision―making」、教育や文化などの「Experience」の4ドメインのうち、一つでも成長が止まれば目標達成は難しくなります。成長につながると判断すれば、M&Aを含めて必要な投資をしていきます。
30年に有料ユーザーFTと合わせ1000万人に
――例えば10年後、20年後に、御社の経営がどのような収益構造になっていると予想しますか。日経ブランドのグローバル展開について、今後どのような目標を設定し、手を打っていますか。
30年までの長期経営計画では、日経グループのコンテンツを有料で消費するユーザー数を足し上げた「GPA(Global Paying Audience)」という経営指標を導入しました。グループの統一目標であり、日経と英FTを合計した1000万GPAを30年の目標に掲げています。
――長谷部社長は、編集面で記事のデジタル・ファーストをはじめとして、先頭に立ってデジタルシフトを進めてこられたと伺っています。その際に困難だと感じられたことは何でしたか。それをどのように乗り越えましたか。
編集局長時代の話になりますが、記事出稿のデジタル・ファーストや、朝刊向けの独自ニュースを夕方に電子版で特報する「イブニングスクープ」導入など、紙中心のタイムスケジュールの意識改革を進めました。これらの取り組みによって多くの記者が夜遅くまで会社にいる必要がなくなり、働き方改革にもつながりました。当初はこれまでと異なるやり方に社員には戸惑いもあったと思いますが、徐々に理解が深まったと感じています。
――15年のFT買収について、これまでどのようなシナジーがありましたか。また、シナジー創出は現在どの段階にあるとお考えですか。
デジタル・ファーストやエンゲージメントスコアの導入など、FTの先進的なデジタル手法を参考にし、日経社内でのノウハウ共有と意識改革が進みました。
エンジニアを一定期間派遣する人事交流などを通じて日経が強みを持つデータビジュアルなど新しいデジタル技術の表現方法や、アプリ開発にも取り組んでいます。これからも互いに切磋琢磨しながら、コンテンツの質を高めていきます。

AI編集支援ツール「SCOPE」開発
――記事制作や編集業務の効率化など、編集面でAIを活用していますか。
日経は23年にAIの報道利用に関する指針をつくりました。責任ある報道に寄与する場合にのみ、限定的に利用するルールです。
具体的には信頼できる公開情報からのデータ抽出、文章や画像の検索、翻訳など編集作業を補助するために活用しています。あくまでも「責任ある報道は人が担う」のが原則です。
25年には「SCOPE」と呼ぶ編集支援ツールも開発しました。企業がホームページで公開するプレスリリースを自動収集し、AIが記事の下書きを生成します。編集者や記者が原文に照らし合わせて確認、修正して公開します。記事には生成AI活用を明記しています。
――AIは新聞社の仕事をどのように変えていくのでしょうか。
AIがとてつもないスピードで進化する中、企業経営や働き方、社会のあり方が大きく変わっていくかもしれません。日経はAIの危険性と利便性の両方を踏まえながら、しっかり活用していく立場です。一次情報を取得してコンテンツを作るのは記者ですが、膨大なデータの収集・整理などではAIを使っていきます。
情報の入手方法、情報空間そのものも変わる可能性もあります。最後まで生き残るものは何かと考えると、ジャーナリズムの報道はもちろんですが、今まで以上に信頼され「日経を読まないとどうにもならない」と感じてもらえるようにコンテンツやデータの価値をいっそう高めていく必要があります。その価値を守ることも大切です。
事業に取り入れていくことも考えるべきです。日経は日経電子版の記事を基に読者の質問に生成AIを使って答えるサービス「Ask! NIKKEI」、法人向け生成AIサービス「NIKKEI KAI」の提供を始めています。古いやり方に固執することなく、いろいろなアイデアを生かせる組織にしていくことが大事だと思います。
――御社をはじめとして、国内外でAI企業に対するメディア企業の訴訟が相次いでいます。これからのAI企業との関係について、どのような展望をお持ちですか。
米国の生成AI事業者であるパープレキシティ社に著作権侵害の差し止めと損害賠償を求める訴訟を、朝日新聞社と共同で提起しました。AI検索サービスで許諾を得ずに記事を収集・利用する行為は新聞社の収益基盤を揺るがすもので看過できません。健全な報道を守ることは民主主義の根幹を支えることにつながると考えています。AI企業をはじめ、著作権に対する理解を広げていくことが必要だと思います。
キャリア採用も積極的に
――従来のジャーナリスト組織の中で、データサイエンティストやエンジニアをどのように育成・採用し確保していますか。
記者や編集者だけで記事をつくる時代ではなくなりました。日経ではデータサイエンティストやエンジニア、ウェブデザイナーらが記者や編集者と一緒になってコンテンツづくりに励んでいます。専門分野が異なる職種の人たちが協力することで、コンテンツの質を高めるだけでなく、人材育成にも好影響があると考えています。新卒の社員を育てるとともに、スキルを持ったキャリア採用も積極的に取り組んでいます。
――地方メディアや出版社などとの連携・協業についての可能性をどのように考えていますか。
日本人のライフスタイルとしてニュースを電子版で読む習慣が広がれば、もっとマーケットが広がるのではないかと考えています。地方メディアも電子版に力を入れるようになっています。電子版編集では地方紙からトレーニーを受け入れた実績があり、可能な範囲で協力していきます。
――新聞(紙・デジタルを含む)メディアの社会的使命や存在価値を、どのように再定義していきますか。目指す新聞社像(もしくは新たな業態像)と、そこに至るためにどのような課題があるとお考えなのかをお聞かせください。
日経の社是は1947年、小汀利得社長によって提唱された「中正公平、わが国民生活の基礎たる経済の平和的民主的発展を期す」です。中立で公平な立場から偏りのない報道を行うことを定めたもので、この言葉には小汀のジャーナリストとしての矜持が反映されています。
22年には日経グループとしてパーパス「考え、伝える。より自由で豊かな世界のために。」を策定しました。1876年の創業以来、より自由で公正な市場をつくり、経済活動にチャレンジする人たちを応援するという使命はこれからも変わることはありません。時代が変わったとしても柔軟に対応できる組織をつくり、読者や顧客に質の高い報道とサービスを提供し続けていきます。
――ありがとうございました。
