宇都宮営業所の次は府中営業所に赴任して、所長を務めた。「高井君は宇都宮で大活躍してくれたから、故郷に戻してやろう」という、役員による計らいだったようだ。府中営業所からは一橋大学や専修大学が近く、川崎方面にも交通の便がよかったので、営業の重要な拠点となっていた。

OCLCへ出張した際に
紀伊國屋書店の営業分野でのパイオニアと言える、吉枝喜久保さんという方がいて、吉枝さんは、創業者・田辺茂一さんも当時の社長・松原治さんも、営業について全く口を出さなかったほどの人物だ。たいへん文才があり、社員が報告書を提出すると細かに添削して戻されたものだ。いつも添削の字をなぞって再提出するものだから、吉枝さんとそっくりの字を書くようになった社員がたくさんいた。私も大変お世話になった恩人だ。
府中営業所で2、3年勤務した後、金沢市にある北陸営業部へ所長として赴任し、その後部長に昇進した。しばらく、金沢で過ごした後、東京へ戻ることになり、出版企画課長として着任した。初めての内勤ではあったが、外回りの営業とは違う仕事に戸惑いつつも、やがて面白さが見えてきた。
出版企画課では、図書館の蔵書目録や大学が発行する紀要などを作成していた。当時はデータベースがないため、紙で発行されており、国会図書館の蔵書目録も紀伊國屋書店が作成して、販売もしていた。
また、全国に100校ほどある医科大図書館の医学雑誌総合目録を作成したり、アメリカの医学用語集を翻訳する仕事も手がけ、宇都宮営業所時代に自治医科大学が縁で知り合った図書館員たちと一緒に取り組んだ。図書館員は世界の学術情報を非常によく勉強されていて、大学の先生たちは研究する際、研究テーマを図書館員に伝えて文献や情報を教わっていた。先生が「図書館員がいなかったら研究が全くできなかった」と話しているのをよく聞いた。それほど優秀な人たちだった。
1980年代後半になると目録を電算化する時代になり、新規事業として出版企画課が取り組むことになった。外国では、世界共通の図書館ネットワークを作ろうという動きが広がっており、カナダのUTLASやアメリカのOCLCがその代表組織だった※。
すでに丸善がUTLASの代理店を担っていたので、紀伊國屋書店はOCLCと提携することを決めた。私はOCLCへ研修に赴き、アメリカの図書館を視察して電算目録の仕組みを学んだ。
OCLCの歴代の社長とは親しくなり、来日した際は観光案内をして親交を深めた。おかげで紀伊國屋書店のスタッフのことも気にかけてくださり、OCLCへの出張が頻繁に行われるようになった。のちに研修制度を作り、毎年2人を選抜して1年間研修へ送り出した。この制度は10年間続き、帰国した社員は後にデータベース事業における強力な戦力となった。(紀伊國屋書店代表取締役会長)
※OCLC(OCLC, Inc.)=世界約100カ国・3万館を超える機関が参加し、現時点で6億件の書誌情報と35億件の所蔵情報を管理する世界最大の図書館ネットワーク。
UTLAS=カナダ・トロント大学図書館のシステムから発展して多くの図書館に導入された図書館ネットワーク
【連載 紙歴書―わたしの来た道―】高井昌史④ 図書館目録の電算化事業 OCLCや早稲田大と連携
