
〝歩くパワースポット〟として知られるSHOCK EYE(ショックアイ)さん
レゲエグループ「湘南乃風」のメンバーとして活躍しながら、人気占い師ゲッターズ飯田氏に「数万人に一人の強運の持ち主」と評され、〝歩くパワースポット〟として知られるSHOCK EYE(ショックアイ)さん。彼が日々の暮らしや旅の中で感じた「幸せ」を、写真とイラスト、やさしい言葉でつづった新刊『目の前にいる人を幸せにすることから始めよう』が11月14日、KADOKAWAから刊行された。「小さな習慣」を大切にし、ポジティブな行動が運気を呼び込むと語るSHOCK EYEさん。新刊に込められているメッセージや、読書や書店に対する思いなどを聞いた。【増田朋】
──新刊を出されたきっかけは。
レゲエグループ「湘南乃風」のメンバーとして長く活動する中で、ある時期から「運のレベルが桁違い」「歩くパワースポット」などと注目されるようになりました。ただ、自分のイメージだけがひとり歩きして伝わっていくことに、違和感を覚えていたんです。それなら、自分の言葉できちんと説明しようと思いました。
今どんな気持ちでいるのか、これからどんな活動をしていきたいのか。そうした思いを整理するために、最初の本を書きました。その後、ご縁にも恵まれ、これまでに4冊の本を出版することができました。
音楽とは異なる、個人としての活動に向き合った時期でもありました。その中で、今回のタイトルにもなっている「目の前にいる人を幸せにすることから始めよう」という考え方が、自分の中でよりはっきりとした軸になっていったんです。「こういう選択を重ねてきたから、今の自分がある」。本を書くことで、ずっと同じ方向を向いて選択してきたのだと、腑に落ちた感覚がありました。
その後はアーティスト活動に加え、インスタグラム上で会員制コンテンツ「Shrinegram」を運営したり、写真家として個展を開いたりと、活動の幅を広げてきました。神社巡りもライフワークの一つで、年間100社ほどを訪れ、メディアやSNSでおすすめの神社を紹介しています。
その一つとして、KADOKAWAが運営する「ところざわサクラタウン」(埼玉県所沢市)にある通称「武蔵野令和神社」を訪れました。「とても美しく、ユニークでありながら、古き良き慣習を大切にしている神社だ」と感じ、そのままの思いをSNSで発信したところ、それがきっかけとなって新刊出版の話が進んでいきました。
前作から時間がたち、自分自身もさまざまな挑戦を通して、新たな気づきを重ねていた時期でした。「今だからこそ書けることがある。もう一度、本を書いてみよう」。そう思えたことが、今回の出発点です。

──ご自身の変化や転機についても書かれています。
「目の前にいる人を幸せにする」。これは間違いなく、僕がずっと続けてきたことです。節目ごとにその選択を重ねてきたからこそ、運を引き寄せたり、自分のステージが上がる出来事につながってきたという実感があります。だからこそ、「悩んだときは、目の前の人を幸せにすること、笑顔にすることを考えてみるといい」と、疑いなく伝えてきました。
一方で、人のために動いているにもかかわらず、幸せになれなかったり、かえって苦しくなってしまったりする人がいる現実にも目を向けるようになりました。会社やチームのために懸命に働いているのに報われない人。家族のために自分の時間を削り、家事や育児に向き合っているお母さんたちが、必ずしも幸せを感じられていない現状もあります。「目の前の人を幸せにしようとしているのに、なぜその人自身は幸せになれないのだろうか」。そんな疑問を、あるとき感じたんです。
そして、自分は確かに目の前の人を大事にしてきたけれど、その前に「自分を大切にする」という選択をしてきたことに気がつきました。自分本位ということではなく、自分を大切にできない「場所」から、意識的に離れるという選択を繰り返してきました。
自分をすり減らしてしまう場所、自分に合わないと感じる場所があれば、そこから距離を取る。その上で、自分を大切に思ってくれる場所にいる目の前の人たちを大切にしていく。この順番こそが、何より大事だと思っています。
このことを言葉にしておかないと、「目の前の人を幸せにしよう」というメッセージが誤解され、自分を犠牲にし続けてしまう人が出てしまうかもしれない。だからこそ、「まず自分を大切にすること」をきちんと伝えなければならない。その考えが、自分の中で一本の太い軸として定まりました。
5冊目にして、ようやく感覚で続けてきたことを言葉にできたという手応えがあります。これまでの4冊も、この新刊を読んだ上で手に取ってもらえたらうれしい。今回、ようやく決定的な「答え」にたどり着いた感覚です。
──読者のどんなきっかけになってほしいですか。
これまでのアーティスト活動を通して、やりがいや成功体験を重ね、多くの学びを得てきました。湘南乃風のファンの方々は、僕たちの音楽を「おしゃれ」や「BGM」として楽しむというより、それぞれの現場で懸命に頑張る自分の背中を押してくれる〝エネルギー〟を求めて聴いてくれている人が多いと感じています。
「歩くパワースポット」という言葉も、話題づくりの一つだったのかもしれません。ただ、それを本気で「お守り」のように受け取ってくれた人たちがいた。病気や貧困、人間関係など、人生の大きな壁に直面したとき、支えとして僕を見てくれている人がいたんです。それを、軽く扱うことはできませんでした。
そうした人の中には、自分に自信を持てていない人も少なくありません。その背景には、日本社会が抱える構造的な課題があるのではないでしょうか。自分の国や、生まれ育った町や地域を、心から誇れる人はどれくらいいるか。誇りを持てないまま、人は都市へ集中し、地方は過疎化し、さらに誇りを感じにくくなる。その連鎖が、自己肯定感の低さにつながっているのではないかと思います。
富や名声が成功の物差しとなり、本来は身近な場所で健やかに生きることが幸せであるにもかかわらず、それを手放してまで追い求めてしまう。SNSで他人と自分を比べてしまう。そうした現状を見て、自分が持っている発信力を使い、残りの人生をかけて少しでも誰かの力になりたいと思いました。
自分の生まれた場所や地域を誇れるような活動をしていきたい。ありがたいことに、僕は言葉や思いをたくさんの人たちに届けやすい立場にいます。神社や地方を巡りながら撮り続けてきた写真をSNSで発信すると、「自分たちの地元に来てくれた」と誇りに感じてくれる瞬間が生まれる。それは、これからも続けていきたいと思っています。
その力の一つとして、この本があってほしい。僕のことを知らない人にも届いてほしいですし、すでに考え方に共感してくれている人を、もう一段階奮い立たせる一冊であってほしい。その人たちが、それぞれの立場で、誰かにこの本を手渡してくれたら、それで十分です。自分自身は、これからも変わらず「熱」を発信し続けていきます。
伝えたいメッセージはひとつ
──音楽で表現することと、本で言葉を残すことに違いはありますか。
違いはありますが、本質は同じだと感じています。音楽には時間や構成といった制限がありますが、音色や振動によって直接、感情を揺さぶることができます。一方、本は文字数の制限がほとんどなく、言葉選びの難しさはありますが、表現の自由度は高い。
ただ、今は活字から距離を置いている人も多い。僕のファンの中にも、「音楽は聴くけれど、本は読まない」「写真は見るけれど、文字は苦手」という人がいます。だから今回は、イラストや写真も取り入れ、「どうすれば手に取ってもらえるか」を意識しました。
文章にも音楽と同じようにリズムがあります。その感覚はとても近い。伝えたいメッセージはひとつで、それを音楽にするのか、言葉で残すのか、写真で伝えるのか。表現方法が違うだけで、本質は変わりません。
本という存在の偉大さ感じる
──「本」から受けてきた影響について教えてください。
たくさんの本を読んできましたが、本という存在は本当にすごいと思っています。「学び」というのは基本的に、人と人との関わりの中にあるものです。ただ、一人の人生で実際に出会える人の数には限りがあります。時代、世代を超えてその人たちの考え方や視点、世界観に触れるためには、本を読むしかない。本を通してこそ、出会えなかった人たちの思考にかなり近いところまで触れることができる。そう考えると、本という存在の偉大さを強く感じます。
一方で、本の数は膨大です。「自分にとってどの本が必要なのか」を選ぶのは、簡単ではありません。だからこそ、「自分は何者になりたいのか」「どんな役割を生きたいのか」という前提があるかどうかで、本の力はまったく違ってくると思っています。なにもないまま闇雲に本を読んでも、目印のない海に網を投げて魚を獲ろうとするようなものかもしれません。「こういう生き方をしたい」「この役割を生きたい」と決めた上で選ぶ本には、ものすごい力がある。人生を変えてくれる一冊に出会える可能性が、一気に高まります。
僕自身も以前は、本を読んでも「確かに正しいことは書いてあるけれど…」と、どこか距離を感じることもありました。自分の中でまだ「前提」が整っていなかったんだと思います。
でも、音楽以外の活動も始めて、「人を勇気づけたい」「人の悩みの根っこを理解したい」と思ったときに、心理学の本を手に取りました。すると、自分が感覚でやってきた行動が、理論として説明されている本に次々と出会うことができました。「ああ、やっぱりそうなんだ」。自分の中で強く腑に落ちる体験でした。
『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』もそのうちの一冊です。自分が言語化できていなかったことや、気づかないうちに実践してきたことを、理論として明確に説明してくれる。ページをめくりながら、「そう、まさにそれだ」と何度も頷いていました。
そこからアドラー心理学に関する本を何冊も読みました。そういう意味でも、本から受けた影響はとても大きい。決して本の虫というわけではありませんが、自分の役割が見えてから出会った本たちの〝爆発力〟は、本当にすごかったです。
──今も本をよく読まれますか。
ここ数年、特にコロナ禍以降で3~40冊ほど読んでいると思います。心理学や哲学、量子力学の本などが多いですね。中でも田坂広志さんの本は、どれも深く心に残っています。それから、松下幸之助さんの本も好きです。いずれも、自分が今やっていることを言葉で説明したいと思ったとき、的確な答えを与えてくれる本に出会えたという感覚です。
例えば自分が4番バッターではなく、送りバントが得意なタイプだったら、「なぜ送りバントが得意なのか」を理解し、その技術を徹底的に磨けばいい。そのときに読むべきなのは、4番バッターの本ではなく、送りバントの名手たちの本だと思うんです。
同じ役割を生きてきた人の本を通して、「自分はこの道でいいんだ」と確認できたり、「ここはまだ伸ばせる」と新しいヒントをもらえたりする。本をそんなふうに使わせてもらっています。
書店はワクワクする場所
──書店について、どのように感じていますか。
書店は大好きで、本当にすごい場所だと思います。たくさんの本が並び、その中で人と本が偶然に出会う。僕が書いた本も、どこかの誰かが、ふと立ち寄った書店で出会ってくれるかもしれない。そう思うとワクワクします。
今はおもちゃもゲームも、ほとんどがオンラインで完結する時代です。でも、僕たちは子どもの頃におもちゃ屋さんに入ったときのワクワクは、誰もが覚えています。また、キャラクターグッズなどが今もこれだけ人気なのは、「手に取れるもの」や「並んでいるもの」に囲まれる体験の高揚感を、みんなが忘れていないからだと思うんです。
書店もそれと同じだと思います。ネットでクリックすれば、本は簡単に手に入るし、情報へのアクセスも容易です。それでも、書店で棚を眺めているときのワクワクは、やはり特別だと思います。まだ読んでいない本ばかりなのに、「こんなにたくさん本がある!」と胸が高鳴る。「いつか読むんだ」と思って、積んだままの本があったとしても、家に本があるだけで、少し人生が豊かになる気がします。
僕のささやかな夢の一つは、老後を本に囲まれて暮らすことです。温泉のある土地に移り住み、小さな畑を持って農業をする。汗をかいたら風呂に入り、サウナで整え、ご飯を食べて、寝る前に本を読む。ときどきオンラインで配信をしたり、たまに仕事に呼ばれたり。そんな生活ができたらいいなと思っています。そのそばに、いい書店や図書館があったら、これ以上の贅沢はありません。
──書店経営の厳しさも指摘されています。
そうですね。だからこそ、これからの本のあり方として、もっと「限定的」でもいいのではないかと思うこともあります。今は何千部刷って、どれだけ売れたかという世界です。でも、もっと部数を限定して価値を高め、価格も上げていいのではと思います。
例えば、1000部限定で1冊3万円という本があってもいい。極端に聞こえるかもしれませんが、そのくらいの覚悟で作られた本を、僕はむしろ手に取りたい。作者が「これは人生をかけた一冊だ」と胸を張って語れる本。編集者を含め、作り手全員がそうした覚悟を持って世に送り出す本。革張りの書物や、中世の書棚に並んでいた本のように、持っていること自体が誇りになる一冊。そんな本を大切に持つ未来があってもいい。
本が「お守り」のような存在として大切に読まれ、人生を支えてくれるものになっていけばいい。音楽も本も、ただ消費されるものではなく、人の人生に寄り添い、支える存在であってほしい。そんな願いを込めて、これからも本を書いていきたいと思っています。
──ありがとうございました。
