【トップインタビュー】株式会社ジンズホールディングス・田中仁代表取締役CEOに聞く 文化・芸術振興、起業支援などで地域活性化 地域新聞の創刊もサポート

2022年6月16日

田中仁氏

 

 パソコンやスマートフォンから出るブルーライトをカットするレンズを開発し、「視力の良い人でもメガネをかける」とメガネ業界に革命を起こした「J!NS」。今度は目に良いとされる、太陽光に含まれる「バイオレットライト」を取り込むレンズを慶應義塾大学発のベンチャーと開発した。株式会社ジンズホールディングス代表取締役CEOとして辣腕を振るう一方で、出身地の群馬県前橋市で財団を設立、文化・芸術の振興や起業支援など地域活性化にも取り組んでいる。さらに昨年は地域新聞「前橋新聞」の創刊を地域の協力者とともにサポートし、今年の秋にはデジタルとリアルを融合した新しい形のフェアを開催する予定だという。その田中氏に起業家としての考えと、地域活動にかける思いを聞いた。【聞き手・山口健】

 

人生を変えた柳井正氏との“怒涛の30分”

 

――ジンズを起業した経緯から教えてください。

 

 前橋で生まれ、起業を志し、商売の勉強のために金融機関で経験を積もうと信用金庫に就職しました。

 

 信金を辞めた後、個人で雑貨ビジネスを始めました。紆余曲折を経て、売り上げが10数億円で無借金経営という状態にできました。その頃、ビジネスアイデアを求めて行った韓国への視察旅行で、一緒に行った友人が15分ほどでできる3000円くらいの眼鏡を買って喜んでいたのを見て始めたのがジンズです。

 

 当時、日本のメガネ店は、レンズが別料金で、フレームと組み合わせると非常に高額になるのが一般的でした。韓国であれだけ安いメガネを見ていた日本人はたくさんいたと思いますが、実際にビジネスにしたのは当社と、同じ時期に始めたZOFFさんの2社だけ。異業種から参入したのは、当社だけでした。

 

 それまで3万円だった眼鏡を5000円で買えるようにしたことで、ものすごい勢いで成長し、運と縁に恵まれて上場までしたのですが、そこから厳しくなりました。その頃に、ゴールドマンサックスのアナリストの方から「ユニクロの柳井さんと会ってみませんか?」と言われました。

 

 2008年の12月にお会いしたのですが、その当時、ヒートテックで一世を風靡していたユニクロですから、先輩経営者として激励してもらえるかもしれないなどと期待して、会いに行きました。

 

 しかし、柳井さんは、挨拶もそこそこに、「どんな事業をされているのですか?」「どんな事業価値を提供していますか?」「ビジョンは何ですか?」、「志は何ですか?」と、私がそれまであまり考えてこなかったことに対して、どんどん核心をついてこられ、絶句するしかありませんでした。そして、その怒涛の30分が私の人生を変えました。

 

 それまでの私は、商売の目的を売り上げと利益としか考えていませんでした。それが、自分は何のために仕事をしているのか、当社は何のために存在しているのか、ということを初めて考えさせられました。根源的で本質的な問いに対して自らが答えを出さざるを得ない。考えれば考えるほど眠れなくなり、本当に具合が悪くなるほどのインパクトでした。

 

 12月24日午後3時に九段下の当時のユニクロ会長室で柳井さんにお会いした二週間後、年明け1月7日には役員・幹部で熱海に行き合宿をしました。

 

 それまではメガネそのものよりも、どう競争に生き残るかばかりを考えていたので、競合大手と直接ぶつからないよう、他社が思いつかないような隙間の事業チャンスをうかがっていたのですが、それがうまくいっていませんでした。

 

 柳井さんは、王道で勝負しなければ駄目だとも仰いました。そこで、メガネそのもの、「1本のメガネ」で勝負しなければいけないと考え、「メガネをかけるすべての人に、よく見える×よく魅せるメガネを、市場最低・最適価格で、新機能・新デザインを継続的に提供する」という戦略をつくりました。これを具現化することこそがジンズの存在意義であると思い至ったのです。

 

 戦略に合わせて商品や価格体系もすべて見直した結果、一気にまた駆け上ることができました。当時、74億円程度(2009年8月期)だった売り上げが、3年で226億円(2012年8月期)にまでなりました。

 

 それでも、安いという理由だけでジンズの品質を疑う方もたくさんいました。我々には絶対的な自信があったのですが、サイエンスに基づいて、大学病院とエビデンスをつくりお客様の信頼を勝ち取る必要があると、慶應義塾大学や東北大学など様々な大学との産学連携を始めました。

 

前橋でイノベーター育成

 

――出身地の前橋でいろいろな活動をされていますが、やはり郷土愛からですか。

 

 もともと前橋に対してそれほど特別な感情はなかったのですが、きっかけは2011年に日本代表として参加した「アントレプレナー・オブ・ザ・イヤー」で交流した海外の起業家たちが、皆ビジネスで得た利益を還元して社会貢献をしていることを知ったことです。その姿を見て、自分には何ができるかを考えたときに、やはり生まれた前橋でやることに意味があるだろうと思いました。そして、前橋の様々なところで地域に関わり始めると、そこで活動する若者たちとの縁に恵まれ、徐々にのめり込んでいったというのが正直なところです。

 

 特に、自分を成長させてくれた起業の素晴らしさを、もっと多くの人々に伝えたいという思いから、地元の新聞社と共催で、起業家を発掘し表彰するイベント「群馬イノベーションアワード(GIA)」を2013年に始めました。

 

 また、表彰するだけではなく、起業家を育てていく必要もあると考え、群馬にいながら都内の有名大学の教授から無料で起業について学べるビジネススクール「群馬イノベーションスクール(GIS)」を私の財団の資金で始めたところ、それが周りの人たちを巻き込んで徐々に大きな活動になっていきました。

 

 誰でも何かしらのセンスを生まれ持っていると思います。それが勉強なのか運動なのか商売なのかは人それぞれですが、その個々人のセンスを活かすことなく、ただ安定した大企業や役所に就職することを望んでいる親御さんや先生が多いのが現状です。

 

 商売の才がある学生が、起業という道を知り才能を発揮し、年商100億円をつくるような人が毎年どんどん生まれたらすごいことになります。それが地域に活力を生み出し元気になると思い、活動を続けています。

 

 GIAを立ち上げたとき、見たこともないイベントに資金を提供してくれる方はほとんどいませんでした。しかし、最低でも10年は続けようと覚悟を決めて仲間集めをしました。幸い何人かの起業家仲間が協賛を申し出てくれましたが、それでも全く足りず、足りない分は全て私個人で負担しました。

 

 しかし、続けていくうちにその価値が伝わり、仲間がどんどん増えていきました。今では協賛企業が80社を超えています。

 

 このイベントが素晴らしいのは高校生の参加数の多さです。いまでは高校生の応募が年間500件近くになっています。起業を一つのプログラムとして教える高校も増えてきました。高校生部門で入賞すると慶應義塾大学のSFCでAO入試を受験する資格を得られるという制度も作りました。既にこの制度を利用して3人がSFCに進学しました。

 

 群馬県は安倍政権のときは開業率が全国平均よりかなり低かったのですが、GIA、GISを始めてから、開業率が上昇し、一時期は伸び率が全国2位になったこともあります。今でも開業率は全国の上位です。

 

 群馬でGIA、GISをやっているうちに、県庁所在地である前橋のことが気になり始めました。寂れた街に昔の面影はありません。それでも生まれた街をなんとかしようと頑張っている人たちがいたのです。そんな彼らの力になりたいと思いました。

 

「前橋新聞」全世帯と全学生に配布

 

――昨年7月19日に創刊されて、間もなく1周年になる「前橋新聞」の創刊に関わられた経緯と現状について伺わせてください。

 

 地元、上毛新聞の編集局長も経験された阿部和也さんという方から、前橋の街中でダイナミックな動きが起きているのに、市民に全く情報が伝わってない。こういう情報を届ける紙媒体を作りたいという相談を受けました。

 

 

 

 ただ、今の若い人に手に取ってもらうにはデザインが大切です。例えばスターバックスに置いてあってもおかしくない、そんなお店に来るような人が読みたくなるものでないと普及しません。そんな中、阿部さんをサポートする方々が地元のみならず都内からも現れ、善意の集まりという感じでスタートしました。

 

――12万部印刷して、新聞販売店を通じて全世帯に無料で届けられています。

 

 多くの方が自分たちの街のためだという志に共感してくださり、垣根を越えて協力してくれています。

 

 当初は困難もありましたが、乗り越えてきたのは、やはり前橋をなんとかしたいという阿部さんの努力と地域の心ある方々がサポートしてくれたことが大きいと思います。また、新しい媒体に対する地域の期待感もあったのだと思います。

 

 さらに、この媒体の稀有なところは、全世帯だけではなく、すべての学校にも届けて、中学生、高校生、大学生全員に配布されます。これはキャリア教育に役立つと思います。

 

――前橋だけではなくて、東京でも配布しています。

 

 六本木、銀座と代官山の蔦屋書店にフリーペーパーとして置いてありますが、東京で前橋の宣伝になっています。

 

――何人ぐらいで作っているのですか。

 

 阿部さんご夫婦を中心に、フリーの記者や学生をネットワークしてネタを集め編集しています。

 

――ウェブ版の「MEBUKU」には毎日いろいろな情報が上がっていますが、こちらもあわせて作っているのですか。

 

 同じく阿部編集長を中心につくっています。紙の「前橋新聞」が先にできて、後からウェブを立ち上げました。

 

――前橋の全世帯と中高生、大学生に12万部配られるということは、当然前橋一の媒体ですが、広告モデルとしてビジネス的にも成立しているのですか。

 

 つい先日、第1回の決算が終わりましたが、しっかり黒字で終えることができたようです。

 

 やはり、地域のために協力したいと思ってくれるスポンサーが重要です。いくら部数が出ているとはいえ、紙版の広告料金は1ページで相当な金額で、前橋では決して安くありません。

 

 また、紙とウェブをセットにした年間会員サポーター制度もあり、当社を含めて多くの企業が会員になっています。そういう企業の協力があることが強みです。

 

 紙媒体でもウェブでも、広告効果を金銭に換算するという考え方があり、もちろんそれは大切なことですが、それ以上に「前橋新聞」には心ある善意が集まっている感じがします。

 

 想いや夢を持って旗を振る人がいて、それを応援したいという人がいる。もちろん反対もありますが、それが世の中にとって、地域にとって良いことであれば、多くの方が理解を示し、徐々に反対も少なくなります。

 

――上毛新聞との関係はいかがですか。

 

 先ずはターゲットが違います。そして「前橋新聞」に出した広告主が、上毛新聞に出すのをやめるわけではないので、特に競合する関係ではないと思います。

 

――「前橋新聞」の手法は、そのまま全国の地域紙で取り組んでいく可能性は十分あると感じます。

 

 はい。これは地域メディアのロールモデルになる可能性があると思います。

 

古本を活用した新しいイベント

 

――弊社は「活字文化をひらく」をスローガンに掲げ、「本を贈る」文化の醸成や、いまは「こどものための100冊」という、幼児から小学校低学年の子どもが本に親しむきっかけを作るキャンペーンを行っています。本とメガネはかかわりが深いです。

 

文化通信社・山口健

 

 本といえば、今年の秋に前橋で新しいイベントを開催する準備を進めています。前橋市出身のコピーライター糸井重里さんの発案です。

 

 糸井さんは本をたくさんお持ちですが、読み終わった本もたくさんあるようです。読まない本をどこかに持っていって処分するのは忍びないということで、こういった古本を使ったものが何か面白いことができないかというのがそもそもの始まりです。

 

 詳細はまだお話できませんが、本でみんなが元気になるようなものになればいいなと話し合っています。

 

 先ずは実行委員会をつくり第一回を前橋市と共催で開催しようと動いています。

 

地域活動が人生の豊かさに

 

――来年で60歳ということですが、社業より地域活動に比重を移しているのでしょうか。

 

 そんなことはありません。相変わらず先頭を切って檄を飛ばしています(笑)。ただ、起業家の生き方として、会社と個人のことだけにエネルギーを使うことに疑問を感じたということはあります。

 

 最近つくづく思うのは、最後に残るのはモノではないということです。自分への最大のプレゼントは、たくさんの人たちとの縁や出会いによって生まれた、己の成長や思い出なのではないかと思います。

 

 そういった意味で、前橋で活動を始めたことによって、それまで得られなかった喜びを得ることができましたし、もちろん苦しみもたくさんありました。これは会社を経営しているだけでは得られなかったことです。こうした経験が刻まれて、人生の豊かさになっているのではないかと思います。

 

――今日はそのすべてを伺えませんでしたが、地域を元気にしたいと取り組まれている様々な試みはメディア業界の読者にも参考になると思います。本日はありがとうございました。

 


 

たなか・ひとし氏 1963年1月25日群馬県生まれ。88年有限会社ジェイアイエヌ(現株式会社ジンズホールディングス)を設立、代表取締役CEOに就任(現任)、2014年群馬県の地域活性化支援のため「田中仁財団」を設立し、起業家支援プロジェクト「群馬イノベーションアワード」「群馬イノベーションスクール」を開始。現在は前橋市中心街の活性化にも携わる。慶應義塾大学大学院政策メディア研究科修士課程修了。