【本屋月評】書店員になったきっかけ(伊野尾書店・伊野尾宏之)

2022年1月26日

 22歳の秋、大学四年生の自分に内定を出した企業は一つもなかった。泥みたいな就活の最後に回ってきたプロレス雑誌記者職の採用試験に最終面接で落とされ、もうどうでもいいと思ってフリーターになった。

 

 将来への不安を抱えながら歌舞伎町のゲームセンターでバイトしてると、街の小さな本屋を経営している父親がバイクでの配達中に転倒してケガをした。母親はバイクにも車にも乗れない。特に深く考えず「いいよ、俺やるよ」と言った。

 

 ゲームセンターのバイトは夕方から深夜だったので、昼間は時間があった。あれが昼間のバイトだったら、あんなにあっさり言わなかったんじゃないだろうか。自分の人生を変えたきっかけについて、ときどき存在しなかった別の未来を考える。

 

 臨時で本屋の仕事を手伝ううちに、「ここで働ければ俺、社長になれるかもしれないな」と考えた。バイトはどこでやっても面倒くさい上司や反りが合わない社員がいて、もう辟易していた。家業の本屋はそのとき両親二人で回していた。

 

 バイト先のゲームセンターの店長に「来月でやめます」と言いに行くと、店長は「今日、仕事終わったらメシ食いに行こう」と言う。どこ行くんだろう、と思いながら店長が連れてったのは個人経営の長崎ちゃんぽんの店で、ちゃんぽんを食べながら「伊野尾くんには社員になってもらいたかったんだけどな」と店長は言った。

 

 「そういうつもりあるならもっと早く言ってよ」と思いながら「すみません」と謝って、それから間もなく自分は伊野尾書店の「店長」になった。父親が社長、母親が監査役という二人有限会社の三人目の社員。

 

 最初のうちずっとその選択を「失敗した」と思っていた。本屋のお客はゲームセンターのお客よりずっと質が良いだろうと思ったらそんなことはなく、読んだ雑誌を戻さない、店内で騒ぎ始める、売り物を何か飲みながら読む(のちにこれを“サービス”にする書店が出てきたのはビックリした)、万引きをする、買った雑誌を10日経ってから「読んでないから」と返金を求めてきてこちらが断ると激高する…トラブルはたくさんあった。

 

 利益がなければ将来性もなく、ついでに出会いもない地味な仕事。結婚もできないだろうと思っていた。泥船に乗ってしまった、と思いながら泥をかき出し船をこぎ続け、22年が過ぎた。

 

 その間に入りたかったプロレス雑誌を発行していた出版社は倒産し、バイトしていたゲームセンターはファミリーマートになった。

 

 たまたま本屋の仕事は続いた。運よく結婚はできたが、事業の方は相変わらず利益もなければ将来性もない。けど「失敗した」とはもう思ってない。「成功した」とも思ってない。

 

 ただ、自分の仕事がいろんな人に大事に思われてることは実感している。書店の減少を伝えるニュースを横目に、この先にまだ何かあるんじゃないかと思いながら今日も店を開けている。

 

バックナンバー:本屋月評(伊野尾宏之
▼第1回(1月26日掲載)書店員になったきっかけ
▼第2回(3月3日掲載)店頭の音
▼第3回(4月1日掲載)既読にならないライン

 

 

伊野尾 宏之(いのお・ひろゆき)

 1974年東京都生まれ。新宿区と中野区の境にある昭和の風情漂う街・中井にある本屋「伊野尾書店」店長。趣味はプロレス(DDT、全日本プロレス)観戦とプロ野球(千葉ロッテマリーンズ)観戦。ブログ「伊野尾書店Webかわら版」を時々更新中。

 

〈店舗情報〉伊野尾書店
 住所:東京都新宿区上落合2-20-6
 HPhttp://inooshoten.on.coocan.jp/index.html
 Twitter:https://twitter.com/inooshoten

 営業時間:最新の情報は「伊野尾書店WEBかわら版」に記載