【地方から「活字力」発信】出版ワークス  日本の教育に一石「子どもたちの記憶に残る作品を」

2021年4月15日

良質な児童書を刊行しながら新事業にも挑戦する工藤社長(右)と前田統括本部長

 

 兵庫県神戸市の児童書出版社、出版ワークスは業歴10年ながら、キクヤ図書販売、ブックローングループ創業者の血筋を引く工藤和志社長兼総括編集長が、同社で長年培った児童書、知育玩具の知見、小売業のノウハウ、海外勤務経験、そして生来のクリエイター気質を強みに数々の優良児童書を生み出している。また、絵本にQRコードを付けて音楽や朗読が聴けるといった斬新な企画にも挑戦する。近年は行政からも認められ、自治体の読書推進事業との連携や、優良図書に選定されるなどさらなる発展を見せる。工藤氏が出版社開設に至った経緯、同社の出版活動を取材した。        

【堀雅視】

 


書店のヨーロッパスタイル先駆者

 

 工藤氏は、キクヤ図書販売の創業者、工藤淳氏の三男として生まれ、大学卒業後、同社に入社。グループ企業のブックローンヨーロッパ(パリ・リブレリジュンク)では、書店の管理運営を経て、現地法人の社長にも就任した。

 

 父の他界により帰国した後は、キクヤ図書販売や、次男・恭孝氏が設立したジュンク堂書店など各社の取締役に就任する。キクヤ図書販売は、主に二次取次を社業としてきたが、書店(喜久屋書店)経営に進出。工藤氏が中心になって店舗開発、全国に広げていく。当時について工藤氏は「卸業者が書店に参入することに周囲書店の抵抗が思いのほか強く大変だった」と振り返る。

 

 1号店は鉄道高架下約4坪の店舗。社からは「小さ過ぎる」と開店に反対されたが、工藤氏は雑誌に特化するなど工夫を凝らし、想定の5倍を売り上げた。そして郊外店など多様な展開を進める。

 

 フランス滞在時の経験を生かし、今では普通に見られる「ブックカフェ」や児童書専門スペースの「子ども館」、コミックのみを並べた「漫画館」など次々に成功を収めていく。当時、コンビニエンスストアのコピー機も普及しておらず、同氏はいち早く店舗に設置、学生の行列ができ、比例して本も売れたという。これらの戦略が奏功し、社を成長させていく。

 

天性のクリエイター気質小売からメーカーに転身

『わたしはだれ? Whoam I ?』(ノーブスミー)

『おせんべいわれた』(岡田よしたか)

 

 しかし、工藤氏は生粋の創作気質で「人がつくったものを売るより、自分がつくる作品に消費者がどう反応するか強い関心があった」と話す。そんな中、工藤親族の若手らも入社し、育ってきたことから、2010年に株式の売却を経て退任・退社を決意。翌年、出版ワークスを創業した。

 

 児童書に特化したことについて工藤氏は「ブックローングループが大きくなったきっかけ、ブックローンの『チャイクロ』シリーズや『アンジュール ある犬の物語』など児童書のパワーを目の当たりにしてきた。出版社を起こすなら児童書しか頭になかった」と語る。

 

 設立後は精力的に活動し、小学校国語教科書への掲載や、世界的な絵本原画展に入選する作品など良質な児童書を手掛けていく。推奨作品は、前田修也統括本部長が企画した『わたしはだれ? Who am I?』。

 

 ユネスコなどが推進するESD(持続可能な開発のための教育)に着眼し、「地球への思いやり」をテーマにした短い文章に英訳を付けた教育絵本。SDGs(持続可能な開発目標)日本協会代表理事の寄稿推薦文も掲載。神奈川県と秋田県の優良図書にも選ばれた。

 

 また、人気絵本作家・岡田よしたかさんの『おせんべいわれた』について工藤氏は「岡田先生の子ども目線が素晴らしい。子どもの空想がそのまま作品に描写されている。これが本来のエンターテイメント絵本」と称賛する。

 

本寄贈の社会貢献も

 

 同社はスタッフの提案で、児童書を県内の小学校に寄贈する社会貢献に取り組んでいる。カバー破損などによる返送品(B本)を放課後、保護者が家に不在の児童(学童)を対象に送る。ひと目では新品と変わらず、児童や学校から喜ばれている。

 

 工藤氏は「カバー改装費などを考えると、子どもが本に触れる時間を提供して健全な育成に繋げたいと判断した」と話す。伊丹市から感謝状が贈られ、他市からも表彰予定となっている。

 

 さらに、本の作家(オーサー)を学校に派遣する大阪府のオーサービジット事業との連携も決まっている。前田統括本部長は「事業の幅を広げるため、近年、多方面に様々な働きかけをしている。楽しみにしてほしい」と新しい計画を示唆する。

 

 工藤氏は「自分は子どもがいないので教育に対する憧れがある。自分なら『こんな本を読んであげたい』など、日本の子どもたちを我が子のように思うこともある。出版社ができることには限界があるが、教育に微力ながら良い影響を与え、子どもたちの記憶に残るものをつくっていきたい」と語っていた。