【学参・辞典特集】国語学者・言語学者 北原保雄氏に聞く 激変する言語を取り巻く環境と辞書作り、出版業界に日本語ブーム作ってほしい

2021年2月22日

北原保雄(きたはら・やすお)氏

 

 小学校で英語が教科化される一方で、若者の読解力など言葉の力を向上させる必要性が指摘されている。SNSなどこれまでにないほど新しい言葉が〝流通〟する時代にあって、言葉の「正しさ」とは何なのか。また、子どもの言葉についての教育はどのようにあるべきなのか。このほど編集を務める国語辞典『明鏡国語辞典』(大修館書店)を改訂した筑波大学元学長で国語学者・言語学者の北原保雄氏に話を聞いた。

【聞き手=星野渉】

 


 

 ――長年、辞書作りに取り組まれてきた理由をお聞かせください。

 

 私は長年、文法と語彙の研究に取り組んできました。言葉は縦書きの文でいえば、縦の関係と横の関係から成り立っています。縦の関係とは「主語・述語・目的語」などといった文法で、横は「私は」「あなたは」「彼は」「彼女は」という語彙のことです。

 

 私は言葉の歴史を調べてきましたが、時代によって文法も語彙も変化してます。ですから、言葉を解明するには、縦と横、文法と語彙の両方について知ることが必要なのです。

 

 そのことから言葉の横の関係である語彙を扱う辞書に興味を持ち、それぞれの時代の語彙を扱うために、古語辞典と現代語辞典の両方を手がけてきました。

 

 辞書に関わった最初は、27歳の頃に恩師が編纂の中心になった『古語大辞典』(小学館)を手伝い、その後、高校生向け『全訳古語例解辞典』(小学館)を編纂しました。

 

 現代語古語総合の辞典としては『日本国語大辞典 第二版』(小学館)に関わりました。そして、高校生や一般向けにハンディーで使いやすい辞書を作ろうと2002年に『明鏡国語辞典』を刊行しました。これらを含めて、これまでに20点以上の辞書編纂に関わってきました。

 

ネット普及で増えた「話し言葉」

 

 ――この間ずいぶん言葉を取り巻く環境が変わりましたが、辞書の作り方も変わっていますか。

 

 パソコンが普及したことが大きな理由ですね。かつての辞書作りは書籍など文字資料が中心だったので、用例も小説など本の中から採っていました。当時はカードを作ってそうした用例を書き出して切り貼りしていました。

 

 また、以前は言葉が落ち着いていて、新語がいまのようには増えませんでしたから、新語の採否は辞書作りにおいてそれほど大きな比重を占めてはいませんでした。

 

 それが最近は、インターネットなどから新語を探すようになっています。そこら辺は大きく変わりました。

 

 しかも、一般の人々がSNSなどネットを通して発信する「話し言葉」が、作家や著名人の言葉と同じように流布するようになったため、書き言葉ではなく話し言葉の資料がとても増えました。辞書作りではできるだけ調べて遺漏のないように努力していますが、それを全て押さえるのは大変なことです。

 

使ってもらわなければ意味がない

 

 ――このほど改訂された『明鏡国語辞典』で、大きく変えた点はありますか。

 

 今回は改訂というより、新しい辞書を編集するような気持ちでした。

 

 色刷りにしたり、話し言葉を言い換える「品格語」や、索引の充実など付録もいろいろ工夫しました。

 

 また、いまの若い人は厚いと持ち運ばないといわれますから、第三版は第二版に比べてページ数は減らしながら、項目を増やすためいろいろと工夫をしました。若い人にはとても便利になっていると思いますので、言葉の力を付けてほしいと思います。

 

 それから、新語の立項もありますが、解説もずいぶんと新しくしました。解説を変えたなかでは、例えば「言い出しっぺ」という項目は、『明鏡』第二版も含めておそらくすべての辞書で「おなら」の「へ」だと解説されているのですが、実は「飲んべえ」「在郷っぺ」の「ぺ」は「屁」とはつながらないでしょう。

 

 ただ、そもそも語源というのはよくわかりませんから、第三版でも従来と同じ説を入れてはいますが、初めて「飲んべえ」の「べ」とつながるようにしました。これをはじめとして相当書き換えています。

 

 ――本文を2色刷にしたりするなど、使いやすさにこだわっていますね。

 

 辞書は少しでも多くの人に利用してもらえるようにしなければなりません。どんな良いものを作ったとしても、使ってもらわなければ意味がありませんから。そんなことを考えて取り組みました。

 

 ――いろいろと変えているなかでも、変わらないことは何でしょうか。

 

 言葉の正しい使い方「規範」をしっかり示すことです。

 

 文法にも「規範文法」と実際に世間で使われている「記述文法」があります。言葉もかなり使い方が変わっている場合がありますから辞書には「規範」とともに、実際の使われ方についての解説も必要ですが、まずはその言葉本来の使い方をはっきりと示すことが、辞書作りにおける変わらないコンセプトです。

 

「略語」が目立つ最近の新語

 

 ――いまは毎日のように新語が生み出されているようにも感じますが、どのような基準で新語の採否を決めていますか。また、最近の新語の傾向でお感じになることはありますか。

 

 採否の基準は私の主観になりますが、「広く用いられている言葉」「これから長く残りそうな言葉」を中心にしています。ある時期によく使われたり流行っていたりしても、すぐに消えてしまうと思われるような言葉は入れません。

 

 新語はいろいろな形で集め、改訂では3000~4000語を採用しています。さらに、新語を入れればその分、既存の項目を落とす必要がありますが、「これはもったいない」とか「もう少し残しておこう」など、これがなかなか大変な作業です。

 

 最近の新語の傾向としては、略語が増えていると感じます。テレビ番組のタイトルをみても、NHK総合ですら「あさイチ」とか「ごごナマ」、「シブ5時」など、略語が目に付きます。

 

 ――テレビのアナウンサーが読み方を間違えたりもしますが、そうした誤用が一般化していくと新語になっていくのでしょうか。

 

 一部の人が間違えて使ったからといって、新語として認められるわけではありません。多くの人が使うようになって初めて、通用する言葉として記載できるようになるのです。

 

 辞書はあくまでも「規範」を示すものです。誤用を正すことは大切なことですが、そのためには辞書を引くようにというほかないですね。

 

若い人にもっと言葉を学んでほしい

 

 ――SNSの普及などによって、言葉について若い人が主導権を持つ傾向が強くなっていますが、いかがお考えですか。

 

 確かにいまは「規範」を示すこと自体が難しくなっています。若い人が個人的に発信した言葉が広がって、テレビや新聞よりも影響力が強くなっています。

 

 この背景にはインターネットの普及はもちろん、地域の解体や核家族化、世代間の断絶などによる家庭教育の崩壊という社会的な問題もあるのでしょう。

 

 もちろん、そうした傾向は日本語にとって望ましいことではないと思っています。やはり、子どもや若い人々にはもっと言葉を学んでもらいたい。仲間内だけで通用する言葉ではなく、昔ながらの使い方を学ぶ必要があります。辞書を作る立場としては、「本来はこうだ」と言い続けるしかありません。

 

 ――わからないことがあるとスマートフォンなどで検索することが一般的になるなかで、辞書の存在意義はどこにあるとお考えですか。

 

 紙の辞書は隣の語や関連する語をみることができるといった利点はありますが、電子化という時代の趨勢に抗うことは難しくなっています。

 

 歴史的にみれば「読む」こと以上に「書く」ことが変わってきています。最初は石などをひっかいて、まさに「掻いて」いたものが、毛筆、鉛筆、万年筆、ボールペンになり、それがワープロ、パソコン、スマートフォンなどへと次々に変化しています。

 

 ですから、「読む」、「調べる」こともそのように変化していくのは当然だと言えるかもしれません。

 

 しかし、しっかり調べるためには辞書が必要ですし、インターネットで調べるとしても、やはりその内容が誰かによって保証されていることが必要です。その意味で、電子の時代になってもやはり辞書の役割は大きいと考えています。

 

 ――先生が2004年に出された『問題な日本語』(大修館書店)は、当時の日本語ブームのきっかけを作りましたが、多くの人々が日本語に興味を持つためには、こうした取り組みも必要ではないでしょうか。

 

 『問題な日本語』というタイトルも良かったのでしょう。やはりブームになるためにはきっかけが必要です。

 

 言葉、そして我々にとっては日本語が大事です。私自身、皆さんに日本語への関心を持ってもらいたいという思いが非常に強いです。そういうきっかけを作っていただくよう、これからの皆さんに期待したいですね。

 

小学校ではまず日本語を学ぶべき

 

 ――小学校で英語が教科化されるなど教育も大きく変わっていますが、言葉を学ぶ観点から見て最近の学校教育の変化についてはどのようにお考えですか。

 

 私は小学校で英語の授業を始めることには反対です。小学校ではもっと日本語をしっかりと学習すべきです。

 

 いま、多くの若者が長い文章を読み解く力がないと言われるように、言葉の学習でやらなければならないことはまだまだたくさんあります。

 

 小学生の時期に日本語の力をしっかりと身につけて、読解力や表現力を養っておかないと、かえって将来外国に行ったときに恥をかいてしまいます。

 

 もちろん英語をはじめとした外国語を学ぶことも大切ですが、英語は中学校に入ってからしっかりと始めればいいのです。

 

 むしろ若い時期には、外国旅行を必須にするようなことの方が効果的だと思います。実際に他の国に行って外国の人と付き合ったり、買い物などをしたりするなかで、言葉が通じないことの不自由さを身をもって実感できます。そうなれば外国語を勉強するようになります。「必要」こそが生みの母です。

 

 そうやって日本語の学習と外国語の学習にもう少しアクセントを付けるべきだと思います。

 

 ――言葉、日本語の将来を考えたときに、出版業界が果たすべき役割はありますか。

 

 出版社は本を出すだけではなく、多くの人々が日本語に興味を持ったり、特に子どもたちが言葉の力を身につけられるように、もっと日本語が大事だと、宣伝したり運動したりしていただきたいですね。

 

 かつて小学校の教科書を作るときに、私が全教科教科書の表現を監修したことがありましたが、学習指導要領にも盛り込まれたように、教科を超えて言葉の能力を付ける必要性が強調されました。そうした取り組みが必要です。

 

 我々が考えるのも学ぶのも、全て言葉、しかも日本語です。ですから是非、また再び日本語ブームを作ってもらいたい。私も高齢になりましたが、できる限りは応援させていただきます。

 

 ――本日はありがとうございました。

 


 

 北原保雄(きたはら・やすお)氏 1936 年新潟県生まれ、66 年東京教育大学大学院修了。国語学者・言語学者。筑波大学名誉教授・元学長、独立行政法人日本学生支援機構元理事長、元文化審議会委員(国語分科会会長)、新潟産業大学名誉学長