【アポトーシスの夢】新型コロナウイルス禍とマイノリティ

2020年6月10日

アフター・コロナを考える

 

 5月12日、1両7人しか乗っていないガラガラの新幹線で東京から新大阪を目指した。翌々日、肝臓ガンのTACE(塞栓手術)を受けることになっていた。「県境を越えるな」、と警告が出ていたが、やむをえない。

 

 新型コロナウイルスが全世界で猛威を振るって6か月になる。6月3日、小池百合子東京都知事は「東京アラート」を発信した。非常事態は継続していると認識した方が無難である。

 

 感染症陽性者数や死者の累計など事態の深刻度は国によって違うが、ウイルス禍という意味では地球全体がその危険性に呑み込まれている。

 

 ぼくらはいつこのウイルス禍から脱することができるのか。新薬の開発とか血清抗体を形成できる能力を科学者は有しているはずだが、問題は時間である。

 

 いずれウイルス禍は沈静化に向かうだろう。さて、ポスト・コロナをぼくらはどう生きるのか。かなり厄介な課題が迫っている。そうした流動的な流れの中でコラムを立ち上げるのは勇気と冒険心がないとできない。

 

ガンと新型コロナの相似性

 

 そこで冒頭に掲げた「アポトーシス」という分子生物学の概念をコラムのテーマに持ってきてみた。アポトーシスは「死の遺伝子」を指す。

 

 人間の個体は40兆個の細胞からできている。その細胞の中に細胞分裂をはじめた時から「死」を命じられている細胞があることが分かってきた。ほぼ20年前、研究の成果である。そしてこの「死」を命じられたアポトーシスは遺伝子で設計されたとおり時期が来たら死ななければならない。

 

 死なないとその細胞はどんどん増殖して「ガン」になり個体を死に至らす。

 

 ぼくの肝臓にガンが見つかったのが2017年12月9日。「ステージ4」――分かりやすく言えば末期ガンで余命3~6か月――と診断された。以降、大阪の大学病院で最新技術の治験を受けつづけた。東京~大阪の新幹線通院で2年半経った。

 

 昨年8月、治験は終わったが以降もTACE(塞栓療法)というガンに血液が届かなくなるカテーテル挿入手術を通算4度受けた。経過は良好で今もぼくは生きている。

 

 ガンも新型コロナウイルスもよく似ている。ぼくら人類はまだ、ガンやウイルスの医学的所見を解明できないでいる、というのが事実だろう。だから感染症の専門家は「“3密”を避けよ。マスクをしなさい。手洗いでウイルスを洗い落とす」としか指示できないでいる。

 

文明の驕りか、新しい社会か

 

 報道されているように人類は過去にパンデミック(感染症の世界的流行、蔓延)を何度も経験している。現在、各国の衛生体制は構築されているはずなのに感染症陽性者は絶えないし、死者も防げない。

 

 そこに文明の驕りが見えてくる。未知の感染症は次代にも次々とエンドレスに出現してくるだろう。それを食い止める知恵、防疫体制が構築できるかどうか、が問われている。

 

 「もし宇宙人が地球に来て生物学の教科書を見たとしたら、地球は死ぬことのない生物で満たされていると信じるに違いない」――細胞死についてサタールが4半世紀前に指摘した論文に注目して、田沼靖一東京理科大教授のアポトーシス研究が始まった。

 

 アポトーシスは人類の生と死に決定的に重要な役割を有している。「死」があってこそ「生」がある。これまでぼくらは「生きる」ため死と戦ってきた。

 

 医学は「生」のためにある。でも違うのではないか。「死」があって初めて「生」がある。いわば生死は一体だと考える。

 

 デジタル社会はさらに進化する。かつ地球が一つになってグローバル社会に向かう。

 

 そうした刺激的な時代をぼくらは生きている。しかし、皮肉なことにアメリカでは未だ人種差別が根強く、白人警察官が黒人を窒息死させた事件をきっかけに抗議デモが全米を覆っている。今回のトランプ大統領の言動は過去とは違う。ますます高圧的で挑戦的だ。人権の国アメリカは、マイノリティ差別を引きずりながら、コロナ後の世界にどのように向かおうとしているのか。

 

北岡和義(ジャーナリスト)

 

 1941年岐阜県生まれ。64年南山大学文学部卒。読売新聞記者。在LAテレビ局で日本語ニュース番組を制作、放送。フジテレビ、TBS、テレビ東京など契約特派員。日大国際関係学部特任教授。在LA邦字紙編集部長。著書に『13人目の目撃者 』、『海外から一票を!在外投票運動の航跡』、『政治家の人間力』など。