【2026年度 学参・辞典特集】辞典協会・瀧本多加志理事長に聞く 辞典協会創立80周年 辞書使って言葉磨く大事さ発信する

2026年2月25日

 インターネットが人々の身近な存在になってから生成AIの普及まで、わずか30年余りの間に急速に進んだ情報のデジタル化。長年にわたり言葉の意味や使い方を伝えてきた辞典も、電子化、アプリ化と変化を余儀なくされている。そんな中、今年創立80年を迎える辞典協会は、小学生など若年層が辞典に親しむきっかけを作る企画などを実施する。新学期シーズンを前に、瀧本多加志理事長(三省堂)に辞典市場の現状と、辞典協会の取り組みなどについて聞いた。【聞き手・星野渉、構成・金井まゆみ】

 

たきもと・たかし氏 1961年京都市生まれ。信州大学人文学部卒。87年三省堂入社、辞書・事典を中心にした編集者を経て、2010年に取締役出版局長、16年常務取締役、20年代表取締役社長に就任、25年から辞典協会理事長

 

――最近の辞典に関連する傾向について教えてください。

 

 どこへ行っても「書籍が厳しい」という話ばかりですが、辞典市場は特に厳しいと考えています。いまは売上の半分以上を小中学生向けの辞書が占めているため、新学期にあたる3~5月の売上がいわゆる「書き入れ時」とはいえ、2025年の販売会社実績は、全体で対前年比91.7%。教科書の改訂に合わせて辞書も改訂しますのでそれが比較的好調ですが、前年を上回ることは少なく厳しい状況に変わりはありません。

 

――それには、どのような理由があると考えられますか。

 

 ひとつには媒体多様化です。いまから25年以上前に電子化が始まったわけですが、情報誌などとは別の意味で、辞書は電子化に向いていたと思います。紙の辞書は大きくて重いけれど、現在ではそれを丸ごとスマホに入れてどこにでも持っていくことができますし、逆引きなど紙にはない機能も備わっているからです。

 

 媒体は最初CD-ROM、一時はIC型電子辞書が圧倒的でしたが、現在ではスマートフォンやタブレットで使用する辞書アプリが主流になりました。

 

――辞書アプリは、辞書の出版社がコンテンツを提供して有料で提供しているものですね。

 

 アプリの自社開発はなかなか難しいので、例えば三省堂の『大辞林』の場合は、物書堂という会社からiOS版辞書アプリが出ています。そういう形で、いくつかの開発会社が提供するアプリに出版社がコンテンツを提供しています。

 

――紙の辞書と比べて、価格面はいかがでしょう。

 

 販売価格は紙に比べると安いですが、用紙・印刷・製本代はかかりません。辞書アプリがきちんと売れれば、出版社に入ってくるコンテンツ提供料はIC型電子辞書から得られたそれよりは割合が良いということもあって、辞書の新たな改訂に向けて、それなりの下支えとなってくれるでしょう。

 

 また、一方で、Web辞書という形も生まれました。これは現在でも有料・無料の双方で、さまざまなものがあります。

 

――有料・無料の違いは、どこにあるのでしょうか。

 

 紙の辞書や有料媒体では最新版の内容になっていますが、無料版はそうではありません。例えば有料版が第四版だとすると、無料版の場合はそれより前、第三版以前の内容が多い。

 

 『広辞苑』(岩波書店)や『大辞林』(三省堂)のような国語辞典を例にとると、大きくは国語項目と百科項目に分かれます。国語項目はまさに日本語の辞典(ことばてん)としての内容、百科項目はいわゆる事典(ことてん)で人名・地名などいろいろ入っている。古い版では百科項目の情報が古くなっている場合があるかもしれません。ただ、それで十分だと考える人がいるのも事実です。

 

生成AI急激な発達で辞書引く習慣危機に

 

――無料版で事足りてしまうことも、厳しい状況の一因ということでしょうか。

 

 紙の辞書が売れないことは出版業界にとっては大問題です。それも重要ですが、より根源的な理由として、辞書を引いて調べるという習慣、あるいは行動様式とでもいうべきものが人々、特に若い人から消えつつあります。この2~3年で急に生じたわけではなく長い間だんだん進行してきた傾向ですが、特にここ数年で生成AIが急激に発達し拍車がかかっています。

 

 例えばインターネットで検索すると、自分がまったく望んでいなくてもまずAIの答えが自動的に出てきてしまう。これではますます、きちんと辞書にお金を出して紙なり電子媒体なりを購入して自分のものとして使い、ものを調べて考えるという習慣が希薄になっていくでしょう。

 

 私は認めたくない言葉ですが、「タイパ」「コスパ」という効率優先で知識を得ようとする例として、2時間の映画を5分に圧縮してあらすじだけ見るといったことが挙げられます。そういうアプローチで得た知識も、全部間違っているとは言い切れません。

 

 ただ、これは極端な例ですが、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』は推理小説仕立てになっていて「カラマーゾフの父親を殺したのは誰か」という謎をめぐって大長編を最後まで引っ張っていく。しかし、その犯人を(タイパで)知ったところで、それは『カラマーゾフの兄弟』の読書体験とはまったく異なるものです。

 

 映画を観る、あるいは本を読むといった行為がタイパやコスパだけに引っ張られていくと、本質から外れた非常におかしなことになってしまう。そのこととインターネット上の知、頼みもしないのに出てくる生成AIに頼るということは通底していると思います。このことと辞書が売れないということはひとつのロジックで貫かれていますし、売上の問題を超えた危機として深く憂慮せざるをえません。

 

協会として危機意識を発信

 

――若い世代の思考や価値観にも関わってくる問題ですね。

 

 これだけ世の中の流れが激しく、5年先10年先が簡単には見通せない世界になってしまっているからこそ、自分の言葉でものを考えることの大事さや自分の力で学んでいくことの意義を再評価し、見直さなくてはいけません。私の世代では自分の子どもはもう大人になってしまっているので、これからまさに学びを始める孫の世代にはそうあってほしいと、強く思います。

 

――彼らは生まれた時からインターネットやスマホが身近な、デジタルネイティブです。

 

 だからこそ、学び方を間違えると非常に危ういことになるでしょう。これは教育の問題でもあります。中小の出版社がどれだけ頑張っても、世の中全体の風潮を変えることはなかなか難しい。それでも危機意識を表明し、同時に辞書を使って言葉を磨くこと、時間をかけてものを調べたり本を読んだりすることは、一見遠回りのようであっても面白いし大事なのだと発信することが必要です。

 

 辞典協会の理事長としては、この危機感は三省堂という出版社はもちろん、ほかの辞書を出している出版社の皆さんとも共有しています。現状を嘆くだけではなく、辞典協会として知恵を絞り、今まで以上に意識的に、いろいろな形で世の中に発信していかなくてはいけません。

 

『自分でつくる辞典』周年記念で作成

 

 

――それを具体化していくのが、辞典協会80周年の取り組みでしょうか。

 

 辞典協会は、1946年4月に設立されたのだそうです。敗戦直後の混乱期、当時はGHQの占領下にありましたし、物資も欠乏して皆飢えているなかで、戦後の民主主義のスタートとほぼ軌を一にするように辞典の業界団体ができたわけです。

 

 現在は当時とはまったく違う状況ですが、せっかく周年記念を迎えたので、先ほどから申し上げている問題意識の延長線上で、単なる辞典の宣伝だけではない活動ができないかと考えました。

 

 これから行う事業の一つは、現在制作中の『自分でつくる辞典』という16㌻の小冊子の作成です。これは小学3~4年生を念頭においていて、自分の好きな言葉を書き込んで、その意味と用例の文も書き入れます。学習指導要領によって、どの発行社の教科書でも小学3年生で国語辞典、4年生で漢字辞典を使った「辞書指導」を行うことになっています。

 

 辞典を自分で書いてみる、作ってみることによって、言葉の意味を確認するだけではなく、50音順の配列や、語釈と用例といった項目からできている辞典の仕組みを理解できます。単に辞書を引くよりももっと辞書が身近になり、言葉に対する感覚も備わってくるだろうという意図があります。

 

 辞典協会として、全国の書店約250店で各店50冊を無料で配布します。小さな試みですが、少しでも話題になればと期待しています。「200円で買ってもいいから自分の子どもに与えたい」という保護者が出てくれば大変ありがたいですが。

 

4月に小学校へ出前授業

 

――ほかに企画していることはありますか。

 

 4月16日の午前に、東京都小金井市の第二小学校で小学校4年生に出前授業を行います。実は、私は当社の宣伝部部長だった時代にも出前授業をしていたのです。今の小学校は各教室にモニターがあるので、パワーポイントで独自教材を作り、それを映し出してクイズ形式で辞書の引き方を学べる授業をします。

 

 ただ、一回の授業だけではそのクラスの子どもたちが興味をもってくれるだけで終わってしまいます。そこで、授業の動画を撮影して辞典協会のホームページに掲載し、教材も無料でダウンロードできるようにします。

 

 もし「面白い」と思ってくれる先生がいらっしゃったら、自由に使っていただきたい。それにマスコミにも取材に来ていただいて、活動を世の中に発信したい。そのことで、先ほど申し上げた危機感や問題意識を世の中に伝えたいのです。もちろん、これをやったからといってすぐに小学生辞書が売れるわけではありませんが、やっていく意味はあるはずです。

 

将来の読者を育てるため

 

――小学生のうちから辞書に親しむ意味は大きいですね。

 

 かつては辞書全体の中で高校向け学習辞書が圧倒的な比率でしたが、いまは小中学生向けの辞書が半分以上のシェアを占めています。それは、小中学校の辞書マーケットが縮小してはいるものの、まだ崩れてはいないからです。高校生以上になって大人になればなるほど辞書を引くことは減りますが、小中学生の場合は先生たちも保護者もきちんと紙の辞書を引いて勉強した方が良いと思ってくださっているわけです。

 

 「いつも使っている国語を何のために勉強するのですか」というのは昔からある根源的な質問ですが、国語科自体に限らず社会や理科、算数だって国語の力、つまり言葉の力がなければよく学ぶことはできません。自分の体を使って学ぶこと、つまり辞書を引くことによって自分の言葉の精度を高め、言葉の力をつけていくことで、こういう基本的な能力が身につくわけです。

 

――言葉を誤用していることも多いですし、大人になっても辞書を引くことは大切にしたいですね。

 

 私はこの年になっても、日々至る所で辞書を引きまくっております。昔は分かったつもりでいて全然気にしなかったことが、年とともに少しものが分かってくるとかえって気になってしかたがない。

 

 とはいえ、辞書を引いて、その語釈に違和感を覚える場合もある。違和感を覚えると、では、どう説明すれば納得のいく語釈になるのかを考える。このプロセスが大切で、いわば言葉の定義をめぐって辞書と対話しているわけです。自分の語感を信じつつも、その語感を相対化する。まさに辞書というヤスリで言葉を磨く営為です。

 

――さまざまな意味で、〝辞書を引く〟ことの大切さをあらためて考えさせられました。確かに、子どものうちから親しんでほしいものですね。

 

 辞典協会には12社が加盟していますが、小学生向けの店売の辞書を出している出版社は三省堂、小学館、Gakkenの3社だけです。それでも、幼い子どものうちから辞書を引いてものを調べることを習慣づけていかないと、高校生・大学生になったらますます引かないし調べなくなってしまうでしょう。

 

 辞典協会として小学校低学年にフォーカスした活動を行うのは、将来の読者を育てるため。本好きな子どもが育てば、本はものを学ぶうえでも読書の楽しみを味わううえでも本当に良いものだと多くの人が思ってくれると信じています。それは、辞書はもちろん本全体の売れ行きにもつながり、大人向けの辞書専門の加盟社にとっても有意義なこと。その説明はもちろん重ねますし、ご理解いただけると思っています。

 

――当社も今年が創業80年ですが、文字・活字の未来に向けての辞典協会の活動に期待しています。ありがとうございました。