「ひとり出版社」奮闘記 さいはて社・大隅直人さん 「ひとり」だからこそ良書が生まれる

2021年1月28日

独創的な出版活動、滋賀で10年

 

『失われたドーナツの穴を求めて』の専用ボックスを紹介する大隅さん

 

祖父は戦後活躍した鉱山学者。父は歴史学者で思想史家の東京女子大学・大隅和雄名誉教授。叔父はノーベル賞を受賞した生物学者。学者一家に生まれて自らも京都大学で社会学を学ぶ。学習塾講師、学術系出版社勤務を経て、2010年に人文書系出版社、大隅書店を設立。類書が見られない独創的な書籍を出版し、昨年10周年を迎えた。 

  【堀雅視】

 


 

学者一家に生まれて

 

 大隅さんは中高一貫の名門校に進み、東京大学を目指すが、学校や予備校では教師が父親の知り合いというケースが多く、そうした環境に不自由を感じて京大に進学。高校時代に8mm映画作りに熱中した経験から、映像の仕事に携わりたいと、就職は日本放送協会を志望し、最終選考まで進むも入局は叶わなかった。

 

 その後、京都の学術系出版社や、フリーの編集者を経て「どうせやるなら出版社を」と一念発起。自然環境に恵まれた滋賀県大津市で大隅書店を立ち上げた。 

 

 同社最大のロングセラーは現在11刷の『子どもを信じること』(田中茂樹)。不登校や引きこもりなど子育ての悩みについて心理学の概念を用いて解説、多数の事例を紹介しながら具体的な方法を提案する。

 

 在阪テレビ局の情報番組で取り上げられた際は、注文が殺到したという。

 

従兄の死を契機に原点見つめ直す

 

 大隅さんの出版スタンスの根幹に欠かせない人物がいる。小さい頃からとてもかわいがられた8歳年上の母方の従兄・吉村朗氏だ。吉村氏は日大芸術学部で写真を学び、若くして名の知れた写真家となったが、12年、52歳の若さで自死。大隅さんも大きなショックを受けた。

 

 遺族や写真界からの要請もあって、14年に写真集『Akira Yoshimura Works』を刊行。同作は大きな反響を呼び、大隅さんも写真関係のイベントに招かれるなど、多忙を極めることとなった。

 

 大隅さんは「もともと、学術書を大人しく作るタイプではない。滋賀県から起業支援を受けたこともあり、地方で創業した以上、地域に愛される出版社にならなければと力んでいた」という。しかし、この一連の経験から「自分にとって楽しいことは何か」、「自分は何をしたいのか」、原点を見つめ直したと振り返る。

 

 17年、社名に個人名を使うことに違和感を覚え、家族の案を取り入れて「さいはて社」と改称。これより先に道はない「最果て」になぞらえて、「チャレンジが大事」という思いを込めた。

 

デジタル化の行く末見据えて

 

『失われたドーナツの穴を求めて』

 

 大隅さんは「10年以内に、一般の人が読む本は、ほぼ電子書籍になる」という見解を持っており、業務においてもデジタル化、ペーパーレス化を進め、「アイフォンひとつあれば出版はできる」と語る。

 

 一方で「紙の本はオブジェとして魅力あるものを作らなければ残っていかない」と、17年刊行の『失われたドーナツの穴を求めて』(芝垣亮介、奥田太郎)は、洋書のような装幀で、テーマに因み本に穴を開けた。さらに、3刷を記念して専用ボックスと小冊子も制作するなど、遊び心を追求する。

 

出版者としての矜持

 

 自社については「点数を絞れば一作品に集中できるので、ひとり出版社が面白い本を作れるのは当たり前。 副業を楽しみ、やせ我慢ができるなら出版は続けられる。まだまだこれから、一矢報いたい」と意欲を語る。

 

 各方面から要望の多い、16年にノーベル生理学・医学賞を受賞した叔父、大隅良典博士の著書企画については「私も叔父も納得できる本を出したいので、気長に待ってほしい」と話している。

 

 

さいはて社=滋賀県草津市新浜町8―13

『失われたドーナツの穴を求めて』=A5判並製/224㌻/本体1800円