【トップインタビュー】もっと気軽に本を贈る習慣を 「ギフトブック・キャンペーン」発起人代表・阿刀田高氏に聞く

2020年8月11日

阿刀田高氏

 

 文化通信社は今年11月1日「本の日」から年末にかけて全国書店で「ギフトブック・キャンペーン2020」を展開するが、その発起人代表に就任した作家の阿刀田高氏は、山梨県立図書館館長だった2014年に「贈りたい本大賞」を創設するなど、本を贈ることへのこだわりを持ってきた。その思いや、読書の意義、書店のあり方などについてお話を伺った。

 

(聞き手・山口健)

 


 

――「ギフトブック・キャンペーン」は本を贈る習慣を新しい文化とするための取り組みです。阿刀田さんにとって、本を贈ることに対する思いはいかがですか。

 

 本を贈る習慣をもっと軽く考えて、ちょっとした機会にお菓子やお酒を贈るのと同じように、気軽に本を贈る習慣を、生活のなかに持つようになると良いと思います。

 

 紙に印刷されたものが持つ文化的な力は、いまも依然として大きいと思います。ITの時代になり、ちょっとした情報を得るためにIT機器は大変便利で、これからもどんどん普及するでしょうが、そのなかにあっても、紙の印刷物と付き合うことは、懐の深い営みを含んでいるように思います。それをもう少し気楽に生活のなかに定着させても良いのではないかと考えます。

 

 例えば食べ物を贈られても、必ずしもいただいてうれしいものばかりだとは限りませんが、贈ることが習慣になっているおかげで、それほど深く考えるわけでもなく習慣として根付いています。

 

 しかし本は、贈る側も贈られる側も少し構えてしまいます。それをもっと気軽に考えて良いのではないかということです。

 

――本は人から勧められることが多いと思いますが、阿刀田さんにとってはそうした出会いはいかがですか。

 

 信頼できる方から本を薦めていただくのは良いことです。そういう友達と良い関係を結んでいる時期には、本当に役立ちますし、むしろいろいろな事情でそういう人を失ったときの損失は大きいと感じます。

 

活字文化を次の世代に

 

――阿刀田さんが贈るとしたら、どんな本ですか。

 

 私は何を贈って良いかわからないときは、例えば『広辞苑』などが良いと思います。

 

 『広辞苑』は家庭教育だというのが私の持論で、父親のデスクの上に『広辞苑』が1冊おいてあることで、子どもにとっても刺激になるし、決して邪魔になるものではありません。

 

 もう一つ、私たちにはいままで享受してきた文化を次の世代に伝えていく務めがあります。『広辞苑』のような優れた辞書を応援することは、次の『広辞苑』を作っていくことにつながります。

 

 優れた文化を継続させるために少し貢献するという意味でも、『広辞苑』を贈ることに意味があると思うのです。

 

 それは、国語辞典に限らず、夏目漱石、森鴎外、三島由紀夫、村上春樹などの文芸書でも、ファラデーの『ロウソクの科学』であっても、文化的所産を次の世代に伝えるために本を贈ることは、大きな社会的意義がある行動だと思います。

 

 さらに、1冊の本に限らず、病気で療養している方になら、『文藝春秋』を1年分という贈り方があっても良いですし、子どもなら子ども向け新聞を1年分贈るとか、そのような習慣も含めて、活字文化を次世代に贈ることで、ITの時代だからこそ、紙の本と付き合う習慣を広めることが大切ではないかと思います。

 

著者と対話するように読む「マージナリア」

 

――紙の本に触れることが大切だとお考えですか。

 

 エドガー・アラン・ポーの「マージナリア」というエッセイがあります。「マージナリア」とは本の余白のことですが、大変な読書家だったポーが本を読みながら余白に書き込んだものを抜き出したというエッセイです。

 

 そういう読み方は、1冊の本を著者と対話するようなつもりで読むとことです。

 

 人間が考えていることはそう簡単に他人に伝わるものではありませんが、1冊の本をはじめから最後まで、著者と対話するように読むことによって、その著者がなぜそのテーマに興味を持ち、どうやって発展させ、どこでつまずき、何を得たのか、全てがわかります。

 

 ですから私は、若い人々がサッカーでも昆虫でも、自分が好きなことで構わないので、その分野の1冊を最初から最後まで読んで、「マージナリア」と同じことをやってみると良いと思います。

 

 そうすると人間のものの考え方がきちんと身につきます。そういうことを若い人に薦めるプレゼントがあっても良いでしょう。

 

若い人に本を贈ることが大切と語る阿刀田氏

 

子どもにふさわしい贈り物は本

 

 また、本を贈る運動で一番とっつきやすいのは、やはり子どもたちに贈ることです。むしろ、子どもたちに一番ふさわしい贈り物は本ではないかとも思います。

 

 特に絵本には本当に良いものがたくさんありますし、高価なので子どもが自分で買うことができないものが多いですから、贈り物に向いています。

 

 贈られた子どもたちも、「こんなもの贈られても」とは思わないでしょう。例えじっくりとは読まないにしても、あの人がこんな本を贈ってくれたということが記憶に残り、座右において、なんとなく気がかりだということでも意味があると思います。

 

「積読」も読書のうち

 

――物としての本を贈ることが大切だとお考えなのですね。

 

 私は「積読」も読書のうちだと思っています。書店でちょっと気になった本を買ってきたり、人から贈られたりして、実際には読み切れない数になったりしますが、「この人がこのテーマで書いたのか」とか、「いまこんな本が出ているのか」と積んでおくだけでも、役に立つような気がします。

 

 世の中にはいろいろな種類の本があるのですから、もっと多角的に本を贈るということを考えてみるべきでしょう。

 

本は美術品でもある

 

――電子書籍など、デジタル機器の利用についてはどのようにお考えですか。

 

 IT機器は簡便に情報を得るには適しているので、これからますます定着してくると思います。

 

 しかし、やはり1冊のまとまったものを読むということでは、紙に印刷されたものを読む方が、人間の生理に合っているのではないかという気がします。

 

 また、本はデザイナーが装丁などを考えた、それ自体に存在感があり、自己主張する美術品だともいえます。そういうものに対する敬愛があっても良いと思います。

 

 さらに、ITによって、情報は簡便に得られますが、そのことが良い情報を得るために必ずしも向いているわけではありません。

 

 むしろ電子機器が生活に入ってくる時代だからこそ、じっくり紙とそこに記された活字と付き合うことを、新しい行動として考えても良いのではないでしょうか。

 

再生産の文化を壊すことに危惧

 

 それから、1冊の本を書く人は相当な努力をし、それを書くことが社会的にも、自分にとってもメリットがあるという暗黙の保障があるから、書き続けることができます。

 

 出版や新聞といった印刷物の文化には、まさにそのように再生産していくための保障があります。

 

 小説家も良い小説を書けば社会的な評価を得て、経済的にも成り立つという暗黙の了解があるからこそ命を賭してまで挑戦しますが、情報があまりにも簡便に安売りされてしまうと、こうした再生産する機能が社会から失われてしまいます。

 

 IT機器によって人々が簡単に情報を得ることができて、情報を提供する側が得られるメリットが少なくなってしまうということは、これからまさに我々が危惧しなければならない問題になっていくと思います。そのことを社会全体で考えていくことが大切です。

 

 また、いまフリーで活躍しているジャーナリストのほとんどが、以前は新聞記者だった人たちです。

 

 かつての大手新聞社には大きな財力や影響力があったので、数多くの良い記者を育成することができました。そういう人たちのなかから、フリーになって活躍しているジャーナリストが生まれたのです。

 

 いま、新聞社が今後これまで通りの経営を維持できるのかという問題が現実になっています。ですから、これから本当に良いジャーナリストが育つのか心配しています。

 

印刷物の力弱まることで失うこと

 

――紙に載る活字と、ネット上で通過していく活字との差は大きいですが、その違いはこれからも変わらないのでしょうか。

 

 紙に定着した活字が少なくなっていくと、それがいままで培ってきた大切なものが消えていってしまうことになるのではないかと、心配しています。

 

 グーテンベルグが金属活字による印刷を始めてから約500年。この間に我々は知的作業においては必ず印字する営みを利用してきました。それは私たち社会の隅々にまで浸透しており、その力が弱まることでどのような弊害があるのかわかりませんが、決して無事では済まない気がします。

 

 韓国では貸本屋が増加したことによって、マンガを生産する企業の経営が成り立たなくなってしまったと聞きます。

 

 印刷物の力が弱まることで、プロダクションなど複数のスタッフを抱えて作業するマンガなどは、存続できなくなっていくこともあり得ます。

 

 生産されたものがきちんと評価されなければ、その文化は廃れていきます。そうしたことが、この5年、10年で社会に浸透してくるのではないでしょうか。それに対するせめてもの抵抗として、本を読む、本を贈ることを広めたいと思います。

 

特徴のある書店が好き

 

――書店についてはいかがですか。

 

 かつて日本の書店は取次が送ってくる本を置いているだけという傾向が強かったですが、私は特徴のある書店が好きですし、これからはそういう書店でなければ生き残っていけないでしょう。

 

 例えば、なくなってしまって残念ですが、以前、飯田橋の神楽坂に向かう通りのすぐ前にあった「深夜プラスワン」は、ミステリー関連の本を探すのに良い書店でした。

 

 この頃では、新潮社(東京都新宿区矢来町)のそばにできた「かもめブックス」のような特徴のある書店がいろいろなところに増えていますね。そういう努力をしている書店をみると素晴らしいと思います。

 

自らも書店でアルバイトをしていたと語る阿刀田氏

 

 実は私も学生時代にアルバイトで書店の店員をやったことがあるんです。駿河台下にあった小規模な書店でした。

 

 いまから50年ぐらい前のことですが、浜松の谷島屋さんが大卒の店員を雇うことを目標にしていると聞いて、当時、新鮮なことだし良いことだと感じたのを覚えています。その頃から、書店も来た本を並べるだけではなくて、ちゃんとしたサービスをしなければならないと考えられるようになっていたのでしょう。

 

 ですから、「本屋大賞」のように本を売る書店の人たちが商品に感心を持つのはとても良いことだと思いますし、本当に良い書店人がいてくれるとうれしいですね。

 

 何を贈ったらわからない方は、書店の人に聞いてみれば良いと思います。

 

必ず配当がある「読書保険」

 

――最後に、そのお元気の秘訣は読書ですか。

 

 私は読書は「保険」ではないかと考え、「読書保険」という言葉を作りました。

 

 病気や旅、最近ではコロナウイルス感染拡大で身にしみて体験しましたが、人生では必ず孤独に直面するときがあります。活字を読む労力という少しばかりの掛け金を払うことで、そんなときに必ず配当を得ることができます。

 

 最近も、藤原正彦さんが、コロナ下で奥様が吉川英治の『新平家物語』を全巻読まれて、とても楽しまれたと書いていらっしゃいました。

 

 私も、早くに両親を亡くして、苦労して大学を卒業し国立国会図書館に勤めてサラリーマンになった頃、三鷹市の三畳一間の部屋で暮らしていました。

 

 週末になると図書館からその頃絶頂にあった松本清張の新刊を1冊持って帰って、土日は日中からその本を読んで、夕方になると銭湯に行って、帰りにカップ酒と柿の種を買って、また松本清張を読んで週末を過ごすという生活を送っていました。そこ頃から、この趣味さえ持っていれば、一生楽しめると思っていました。

 

 ただ、この年になって、いまも視力は若い頃と変わらないのですが、1時間ぐらい本を読むと疲れてしまいます。若い頃ほど楽に本が読めなくなったのが少し残念ですが、それでもこの趣味を一つ持っていれば良いということには間違いがありません。

 

――有り難うございました。

 

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阿刀田高(あとうだ・たかし)氏

 

あとうだ・たかし 1935年東京生れ。早稲田大学文学部卒。国立国会図書館に勤務しながら執筆活動を続け、78年『冷蔵庫より愛をこめて』でデビュー。79年「来訪者」で日本推理作家協会賞、短編集『ナポレオン狂』で直木賞、95年『新トロイア物語』で吉川英治文学賞を受賞。その他著書多数。2007年から11年まで日本ペンクラブ会長、18年文化功労者、20年6月「活字の学びを考える懇談会」会長に就任